忘却

もしかしたらと振り返り
何もないから身を戻す

そうといえばと下を向き
大事でないと顔を上げる

此処は何処だと立ち止り
帰る場所がないことを思い出す

大事なものを落としたことに気付かず
時代の波に呑まれる生活

他人ばかり愛想よく自分の心も救えずに
自己犠牲ばかりに精を出す

探す旅に出た筈なのに裏側ばかり心配し

歩き疲れ 泣き疲れ
いっそ全てを忘れよう

幼き夢に浸って溺れ 今も過去も泡沫に

いつか自分を忘れる日まで

初夏の朝露

大好きなあなたが
遠くへ行ってしまったような初夏の朝
庭に咲いた鉄線の葉に朝露がキラキラしている

目の前のあなたは話す語彙は変わらないのに
その笑顔も その口調も その仕草も
今まで見たことない
昔は泣いてばかりだったのに
仕事が忙しくて悩む暇がないとぼやく
桜色の唇がカップの中の黒を吸い込んで美味しいと云った
あなたが飲めなかった珈琲だということに気付いた

今まで生きた中で一番大好きなあなたの傍に
ずっといるのは自分だけだと信じていた
そう思わなければ救われなかった
誰かの何かになりたかった
そんな所詮ただの人生の飯事

ミルクで誤魔化した珈琲を啜り
窓から射し込む初夏の陽に
今日も暑くなりそうだと呟く
あの鉄線の朝露はいつのまにか消えていた

曇天の向こう側

いつもより時間がゆっくり流れるのは、処方された薬のせいか、曇天のせいか。
天気と同じどんよりした頭の中で今日の出来事を忘れないように、書類の裏に書き留める。
書いている途中でペンの芯が、ぐにゃぐにゃと走り出す。
書き殴られたようなその字は、自分ではないみたいだ。

仕事に集中できなくて、しばらく初夏の曇天を見ていた。
重苦しい空気が雨を予感させ気が滅入る。
気持ちを紛らわせたくて好きな曲を流したら、
彼らは雨の良さを歌うから、異端者になった気分だ。

外側と内側の狭間で、どちらにも居られない寂しい感覚。
自分不在だ。何にもなれない。誰にもなれない。
誰かに承認されたがっている。
外側でも内側でもない何処かで駄々を捏ねる自分を横目に見ながら、
曇天の空の向こうを想像した。

大好きな夏が運んでくるあの澄んだ青い空が、
きっとこのぼんやりとした感覚を吹き飛ばしてくれることを信じている。
目眩がするほど明るい光を浴びているだけで、自分の内側と外側の雑菌が消える感覚が好きだ。
あの緑の匂いが濃い風に吹かれている間が、自分が何者であろうが気にしなくなる。
あの川沿いの公園にある人工的な小川で足を浸している間、ずっと夏の一部になってしまいたいと思う。

今は曇天は雨を誘うけれど、それが終われば、
きっとやってくる夏の予感を頼りにあと少し頑張ってみよう。

夕陽と枯れ花

泣いて笑って陽が落ちる
人々が家路に帰る頃
赤く染まった国道沿いで
名もない花がひっそりと枯れた
神に祈ることもない
雨を憎むこともない
境遇を呪うこともない
その最中で必ず次を遺して去って逝く

同じ赤に染まっても
何にもなれない自分はどうだろう
枯れ続けながら泣いている
神を信じる前に
雨を憎む前に
境遇を呪う前に
長い命を悔やんでいる

泣いて悔やんで枯れ続け
名もない花になりたいと
裸電球の灯に染まった
八畳間で独り蹲る
人類史の連鎖に組み込まれることもなく
ひっそりと消え去ることを祈っている

伽藍堂の心

君の残骸をすっかり運び出し
伽藍堂の部屋に春風が駆け巡る
引っ越した当時を思い出す
このよそよそしさが今は愛おしい
縛られるものは何もない
身軽になった今は空も飛べる気がした

適当に詰め込んだ鞄と
お気に入りの曲を聴きながら
馴染みの坂道を下る
寂れた商店街を通り過ぎ
すれ違う人がいないこの町は
群青の空と薄紅色の桜だけが鮮やかに誇る

これから始まる物語は誰も知らない
踏みしめる大地も 眩しい陽射しも
全て僕のものだ

君の残害はすっかり抜けて
行き先も知らない電車は走り出す

病める時も 悲しみの時も 貧しい時も
君を愛し 敬い 慰め 助け
命ある限り添い遂げようと誓った
あの幼い約束を反古し身軽になった今は
本当に何もない

僕は電車に揺られ
遠退く君の故郷を見届ける
軽すぎる身体は伽藍堂のまま
群青の空に飛んでしまう

君を街に置き去りのまま
行き先の知らない電車は走り続ける

memento mori

実はもう自分はここには居なくて
今まさに感じている日常は幻覚で
怠惰に時間を潰すだけの
遺棄物になっているのではないか
そんな考えで毎晩眠れない日々を過ごしている

誰も彼もが他次元に恋い焦がれ
現実なんて所詮紙の束
脳内で書き下ろした陳腐なストーリーで
みんないきたがっている

毎朝消えたいと呟く
その度に少しずつ明度が下がる感覚に酔っている
今ここに何を想うことがある
全てが既に虚構と現実の入り混じるファンタジーだ

memento mori その想いがあるなら
きっと明日は世界が変わる

久しぶりに眠れた夜に見た悪夢だった
必死に母親を呼んでいた
きっと産まれた時もこの気持ちを抱いていたんだろう

きっと死ぬのは怖くない
だってみんなが行列つくる時代
流行り廃りは輪廻を繰り返し今目の前にある
生きながら失望を繰り返す方がよっぽど怖い

この世界に何を想うことがある
全てが既に破壊され狂った正義のエクスタシー
理不尽だけが人間を形造る

理性とルールをもっとくれよ
感情の奴隷にはもう飽き飽きなんだ
身動きできないほどの規律で縛りあげてよ
逃げないように枯れないように

memento mori その想いがあるなら
きっと明日は世界が変われる
きっと明日は自分も変われる

タイトルがない罵倒

役立たず
言葉を呑んでは嗚咽に変えて
現状(いま)に至る経緯を
原罪(かこ)にまで遡ることをではない

何故人生に意味があると信じる
何故自分に使命があると信じる

信じるが故に首を締める苦しさを知り
信じるが故に戦うことを強いられる

苦しみの果てに見える景色が鮮やかに見えるのは
ただ苦しみが無駄ではなかったと思い込みたいだけなのだ

夏の終わり

昨夜のあなたの香りが
俄雨に攫われて行ってしまった
また独り
出逢わなかった頃に戻るだけ
そう言い聞かせて泣いた

果たせなかった約束
優しくない不甲斐なさ
守りたいと思った 嘘じゃない
ずっと一緒にいれる方法を考えた
あなたを泣かせない方法を考えた
先回りしてもあなたは泣いてばかり

雨脚が強くなる
夏が遠くなる
いっそ腐った自分を骨ごと溶かして消えてしまいたい
出逢わなかった頃に戻りたい
言葉の裏なんてどこにある
履き違えた 擦れ違った
傍にいたいと願った 嘘じゃない

ずっと一緒にいれる方法を考えた
あなたを泣かせない方法を考えた
先回りしても あなたは泣いてばかり
守りたいと思ったら 傍にいたいと願った
嘘じゃない

夢の齟齬

寝起きの5秒間は誰しも何にでもなれる
ジェル状の思考で役割を棄て境界線を越えて行ける
そんな気になる

今夜も朝が未だ燻っている前に目が醒める
一寸前にいた極彩色の世界とは違う
明度の低い八畳間の天井
不安定な現実感が徐々に輪郭を持つ
時計による視覚認識で午前3時と知り
飼い猫の空腹のよって置かれている状況を無理矢理思い知らされる

極彩色の世界では数々の事件を解決した
地位も名誉も多数の友人もいた
しかし目が醒めれはただの穀潰し
寝起きの5秒間は誰しも何にでもなれる
そんな気になる

燻った朝が夢から醒めるまでもう一眠り
つぎの5秒間は何になろうか
ジェル状の思考のままの境界線を越えて行ける
そんな気がする

嫌気

帰宅したら墓地案内のチラシをポストが咥えていた。

仕事でくたくたのボロカスになりながら、やっとのこと社会の中で生きているのにそれはないだろ。
いや、むしろ、逆に早く楽になれというお達しか。
誰からの?
信仰心のない自分に構ってくれる神様仏様様がいらっしゃる訳がない。
だがしかし、チラシの謳い文句は「宗旨宗派を問わない」。
「問わない」と言われると、逆に困ってしまう。
社会に「フリー」が充満し、「自由」に動くことが不慣れな自分はいつも身構えてしまう。

法律の机に、倫理の紙、常識の鉛筆。
自分が思った絵を描こうとすると、自分で引いた線はとても歪んで、所々線が切れている。
それでもこの30年近く生きて来た経験に基づき、なんとか理想の世界を描こうとすると、
他人の消しゴムが出てきてこう言いながら消すんだ。
「それは理想。すぐにはできない」
「仕方がない」
知ってるよ。理想だって。
でも、さ、自由に描けって云ってくれだじゃないか。
だから、描いているのに。少しでも話を聴いてくれてもいいじゃないか。
いつも自分は、効率が悪い方法で線を引くから、歪むし途切れる。
客観的に見ればイラつくのかもしれないし、もう他人が考えたことなのかもしれない。
でも、さ、なら教えてくれよ。
それはもう使えないことを。理由を諭してくれよ。
そんな嫌そうに話を遮らないでくれよ。

くたくたのボロカスの自分は墓石なんて贅沢だ。
どこかの緑のきれいな山奥、静かな川が流れるところでひっそり死にたい。
いや、それの方が贅沢か。
もう、この地ではないところならどこでもいいや。