全ての事柄がフラットになれば摩擦が起きないのに。
仕事に向かう途中にXはそう感じた。
神経症が蔓延るこの世は、差異の激しい時代の文化が摩擦し合う精神戦争だ。
他人に優しく自分に厳しい人間から脱落していく。
この時代に適応できない人間は自ら命を絶つ。
それは淘汰という残酷な言葉に相応しい。
一度は焼け野原になったこの地は真っ平らでは、
生き残った人達がみんな同じ思いで一生懸命耕してきた。
人情 助け合い 譲り合い 気持ちを汲む 空気を読む
それはお互いの感情をフラットにするための大事な事柄だった。
けれどこの時代は違う。
平等 自由 自己主張
これらの旗を高く掲げ、票を稼いだものが勝者だ。
それが悪いとは思わないが、ハードルが高いと実感してしまう。
カオスティックと称してもいいが、敢えていうならこの世は凸凹だ。
現代の人間は決して劣っている訳ではなく、一部に秀でるものが多いだけ。
それに気付かず万能性を求められるからみんな爆発してしまう。
摩擦の落とし子だ。
今、この世界に必要なのは手当たり次第の自由や無節操な平等より、
この凸凹をフラットにするために「感情の仕組みの理解」と「個々の特性の尊重」を深めることなのだ。
凸な彼彼女は事実を捉える事ができるが、感情を汲み取ることができない。
それでいいのだ。
凹な彼彼女は感受性が強く優しいが、自分を殺してしまう。
それでいいのだ。
そういったお互いの短所と長所が逆の人達が互いを「感情の仕組みの理解」と「個々の特性の尊重」を深め、
互いに余裕を持ちことでフラットになれる。
勿論最初は激しい摩擦があるかもしれないが、それを乗り越えることで得られる別世界が広がるのだ。