何にもなれないと踠いていた彼女が
初夏の風と共に消えた
群青色の空の中で雲が西から東へゆっくり流れ
アスファルトの上で踊る陽炎は車から轢かれ続ける
河川敷で寝そべっていた僕らは
現実に直撃しないように回り道をしながらお互いの迷想を語り合う
勤務先の管理体制の杜撰さへの怒りだったり
行先が見えない政治への不満だったり
空覚えの世界情勢への憂鬱だったり
そんな話を持ち出すのは
本当はどうでもいいことで
お互いに傷つくことがない話題だからだ
いつもより紅潮した頬の彼女が突然立ち上がり
手にした心理学書を川に投げ捨てた
何にもなれない彼女が何かになりたいと切に語った
その話題は幾度となく聴いていたが
その度に彼女自身が傷つくから避けていたのに
頬に伝う涙を気にも止めず彼女は
演説のように拳を突き上げ群青の空を殴り続けた
僕を真っ直ぐに睨みつけながら
何かになりたいと崩れ落ちた
キラキラと輝く水面を背景に
彼女のその姿がとても綺麗だと思った
何にもなれないと踠いていた彼女は
初夏の風と共に消えた
もう少ししたら彼女が大好きな夏だったのに
一足先に何かになれる時代へ行ってしまったのかもしれない
あの日と同じように河川敷に寝そべりながら
いつかの初夏の風が彼女を連れ戻してくれることを期待しながら
ひとり誰も傷つけない迷想に耽る